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東京地方裁判所 昭和35年(行)105号 判決 1966年12月27日

原告

今村泰二ほか一八五八名

被告

東京都

"

主文

被告は原告らに対し別表「減額分合計」欄記載の各金員及びこれに対する昭和三三年一一月一三日から完済まで年五分の割合による金員を各支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

原告ら代理人は、主文同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、次のとおり述べた。

一、請求の原因

1  原告らは、東京都内の公立学校の教員として、少くとも昭和三三年九月以前から同年一一月以降にかけて勤務し(同年一一月当時の勤務校は別表「学校名」欄記載のとおり)、市町村立学校職員給与負担法一条に規定する職員として、被告から毎月一二日その月分の給与の支払を受ける地位にあつた。

2  そして、原告らが同年一一月分として受給し得べき本給及び暫定手当はそれぞれ同表「本給」、「暫定手当」欄記載の額であつたが、被告は同月一二日原告らに対し同月分の給与として、右金額から別表「減額分合計」欄記載の額を差引いた残額を支払うに止つた。

3  よつて、原告らは被告に対し、それぞれ同月分給与(本給および暫定手当)の未払分(右差引額)及びこれに対する支払日の翌日以降支払済みまで民法所定の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告の抗弁に対する答弁

1  被告主張の1の事実は認める。

2  被告の法律上の見解は左袒しがたい。

被告代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

一、答弁

請求原因事実は認める。

二、抗弁

1(1)  被告は昭和三三年九月一二日原告らに同月分の給与を支払つたが、原告らは、その後平常の勤務日である同月一五日(以下「早退当日」という。)東京都教育委員会の命令を無視して故なく早退して勤務しなかつた。

したがつて、原告らは右九月分の給与により早退当日分の過払を受けたことになる。なお、昭和三一年東京都条例六八号「学校職員の給与に関する条例一(以下、「給与条例」という。)一六条一項には「職員が勤務しないときは、その勤務しないことにつき教育委員会の承認があつた場合を除くほか、その勤務しない一時間につき、第二〇条に規定する勤務一時間当りの給与額を減額して給与を支給する。」と規定されている。

(2)  そこで、被告は右規定に基いて、原告らに対する早退当日分の過払額は早急に回収しようとしたが、早退当日の早退者が原告らを含めて数千名の多きに達し、右規定該当の有無等の調査に時日を要したため、結局昭和三三年一一月に持ち越し、原告らに対し同月分の給与から右過払額を減額する旨の意思表示をしたうえ、その残額を支払つた。

したがつて、原告らに対する同月分の給与の支払残はない。

2(1)  右減額支給の措置は、なるほど形式上は早退当日分の給与過払返還請求権をもつて、労働者の給与請求権と相殺したものと構成されようが、労働基準法(以下「労基法」という。)二四条一項本文の法意に照し、実質的には右規定に違反するものではない。換言すれば、右規定は、労働者に賃金を確実に受領させることにより、その生活に不安がないようにすることを目的とするものであるが、右減額措置は次の点から、法の目的を害する虞がない以上、労基法二四条一項本文の禁止する相殺の範囲に属しない。すなわち、

(イ) そもそも、労働者が早退したため本来支給を受くべきでなかつた賃金を受給した場合、これをその後の、できるだけ接着した賃金支払日に支払うべき給与から減額することは給与間の合理的調整方法として通常人が常識上是認するところであるが、被告は本件の事態に相応して可及的に近接した賃金支払日に右調整的清算手段とし、右減額措置をなしたものである。

(ロ) 原告らは早退当日、いずれ給与の減額がなされることを予想していたものであり、また、その後さしたる月日を措かず、しかも通常の給与月額の僅か六〇分の一ないし二五分の一程度の減額を受けたものであるから、これにより、予期しない時期に僅かな賃金しか手に入らず、生活が脅かされる事態に陥つたといえない。

(2)  また、右減額は労基法二四条一項但書にいう法令である給与条例一六条一項に基いてなされたものである。

もつとも、右条例の規定は給与の減額事由の発生した月の給与減少分をその翌月以降の給与から減額することができることを明定しているわけではないが、給与減額事由の発生した月の給与自体から減額し得ることは規定を待つまでもなく当然のことである以上、その翌月以降の給与からの減額を許したものと解するほかはない。もし、そうでないと給与減額事由の発生前に、その月の給与が支払われていたような場合にも、給与からの減額は不能となり、結局、右規定は死文同様に帰するであろう。なお、国家公務員については、国家公務員法第一次改正法律(昭和二三年法律二二二号)附則三条により労基法二四条が準用されると解されるが、一般職の職員の給与に関する法律一五条に関する人事院指令は「・・・減額すべき給与額は・・・その次の給与期間以降の俸給および暫定手当から差引く。・・・」としているのであるから、地方公務員につき当然適用される労基法二四条一項但書に関し同様の文旨を以て規定された給与条例一六条一項は、右人事院指令と同一趣旨に解釈すべきである。

被告代理人は、立証として、乙第一ないし第一一号証、第一二号証の一、二、第一三、一四号証、第一五号証の一、二、第一六ないし第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一ないし第二三号証、第二四、二五号証の各一、二、第二六、二七号証、第二八号証の一、二、第二九、三〇号証を提出し、原告ら代理人は乙号各証の成立を認めた。

理由

一、原告主張の請求原因事実及び被告主張の抗弁事実は当事者間に争いがない。

しかして、被告が昭和三三年一一月中、原告らに対してなした給与支給の減額措置は給与過払分を自動債権、同月分の給与債権を受働債権とする相殺の意思表示と解するのが相当である。

二、そこで、右減額措置が労基法二四条に照して許されるか否かについて判断する。

(一)  右減額は労基法二四条一項本文に反しないという被告の主張について

賃金は労働者がその生活を支える財源として日常必要とするものであるから、これを労働者に確実に受領させることにより、その生活に不安なからしめることは労働政策上きわめて必要なことであつて、労基法二四条一項がその本文において賃金の直接全額払の原則を定め、賃金の一部控除を同項但書による例外の場合を除き、許さないものとし、その違反者に対しては刑罰をもつて臨み、労働者の生活保護の徹底を期しているゆえんである。ところで、毎賃金期間の賃金がその期間中途の支払日に支払われたのに、その後に賃金債権が発生しなかつたときは、支払われた賃金の一部は当然過払となり、また、支払日前に賃金債権が発生しなかつたのに、それが支払日直前であつたこと等、賃金計算を事実上不可能ならしめる事由により、賃金の全額が支払われたときは、その賃金の一部は当初から過払であるが、このような事象は日常しばしば起り得るところである。かような場合、使用者が過払賃金分回収のため他の賃金期間の賃金から控除することは継続的な労働契約上の賃金相互間の調整的ないし精算的な決済方法として便宜であるに違いない。それゆえ、労基法二四条一項も便宜な決済方法である賃金の一部控除をいかなる場合にも認めないものではなく、但書を設けて、それが使用者の優越的な立場のみから行われることにより労働者の生活に不安を与えることのないような一定の場合には、相殺その他の法律上の原因に基き賃金の一部を控除して支払うことを認めているのである。したがつて、ある賃金期間の賃金過払分の決済方法たる他の賃金期間の賃金からの控除は賃金控除に関する法令の定の存する場合のほかは、使用者において労働組合または労働者の代表者との間で書面による賃金控除に関する協定を締結したうえで行うべきである。(もし、かような賃金控除に関する法令も協定も存しない場合には、賃金控除の便法に頼るよりまえに、初めから賃金の過払が生じることを避ける方法として毎賃金期間の賃金支払日を期間経過後に定めることも可能である<民法六二四条、労基法二四条二項参照>)。そうでない限り、たとえ賃金過払の原因が賃金前払制の採用その他やむを得ない事由に存したとしても、さらには、その控除が過払の生じた賃金期間に接近する賃金期間の賃金から行われるものであり、その額において、支払額に比し僅少であり、また事前に労働者の予知し得るものであつたとしても、その賃金控除は、なお労働者の当該賃金期間の生活に不安を与えるものとして、労基法二四条一項本文の規定に違反するものというべきである。このことは使用者が賃金支払日前に弁済期の到来する不法行為による損害賠償請求権その他過払賃金返還以外の債権に基く弁済金を賃金支払日に賃金から控除することが労働者に予告したうえであつても許されないのとなんら異るところがない。そうだとすれば、本件においても、前記のような法令または協定のない限り、賃金の控除は、労働基準法二四条一項本文の規定に違反し、許されないものといわなければならない。被告の右主張は失当である。

(二)  給与条例一六条一項が労基法二四条一項但書にいう法令の別段の定めに該当するという被告の主張について

給与条例一六条一項は、「職員が勤務しないときは、その服務しないことにつき教育委員会の承認のあつた場合を除くほかその勤務しない一時間につき、第二〇条に規定する勤務一時間当りの給与額を減額して給与を支給する」と規定し、職員に対する給与減額の事由と、その減額の計算方法を定めているだけであつて、どの月分の給与から減額すべきであるかということまでも規定しているのではない。してみると、給与条例の右規定は、被告が原告らに支払うべき昭和三三年一一月分の給与の一部を減額したことを正当づける根拠を提供するものとは解することができない。この点につき、被告は、もし右規定を翌月以降の給与からの減額を許したものと解釈しないと本件のように早退当日前すでにその月分の給与が支払われているような場合には、これからの減額は、もはや不可能であつて、右規定は死文同様に帰するという。しかし、給与条例一六条一項は前示事項を定めた限りにおいても決して無意味な規定ではないのであるから、被告のいうように給与からの減額の不可能な場合が起り得るというようなことだけで労基法二四条一項但書にいう別段の定をしたものと解釈するのは早計である。なお、国家公務員について、一般職の職員の給与に関する法律一五条が給与条例一六条一項と同一内容を規定し、人事院が同法二条一号の規定によつて同法の実施および技術的解釈に必要な規則、指令を発する権限を与えられていることは明らかであり、これに加えて人事院が同法一五条の運用方針として、被告主張のように、「・・・減額すべき給与額は・・・その次の給与期間以降の俸給および暫定手当から差し引く。」旨を指令したとしても、そのことから直ちに給与条例一六条一項を右人事院指令と同趣旨に読み得るものではない。

以上の次第で、給与条例を根拠として、原告らの昭和三三年一一月分の給与を減額したことを正当であるとする被告の主張は容れることができない。ほかに、労基法二四条一項但書にいう法令または協定の存することについては、なんら主張立証がない。

三、さすれば、原告らは被告に対し被告か原告らの同年一一月分の給与から減額した分を同月分の未払給与として請求し得べき債権を有するものといわなければならない。

よつて、原告らが被告に対し別表「減額分合計」欄記載の未払給与およびこれに対する支払日の翌日である昭和三三年一一月一三日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は正当として、これを認容することにし、訴訟賃用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、なお仮執行の宣言を付すのは適当でないからその申立を却下することにして、主文のとおり判決する。

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